大政奉還の場所は?なぜ二条城だった?

こんにちは。ぽむです。

大政奉還の場所は京都の二条城だったと言われていますがいったいなぜでしょうか?

普通なら、江戸城でするとおもったりもしちゃいますよね。

そこで、今回は大政奉還の場所とその理由について調べてみました。

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大政奉還の実際の場所はどこ?

実は、

大政奉還の場所は、御所というところです。

赤丸が二条城、右上が御所

決意表明をしたのが二条城、そのあとに天皇が(翌々日)”大政奉還勅許”の”沙汰書”を徳川慶喜に授けて、大政奉還を受理しました

その場所が御所です。

大政奉還が二条城で行われた・といわれているのはなぜ?

徳川慶喜が大政奉還の決意を発表した場所が二条城です。

「大政奉還やる!」と、宣言した場所ですね。

実際は、徳川慶喜が

「大政奉還やるぞ!」

と大名達の前で宣言したのですが、大名達は、あまりのことで、面食らってしまい、何も返事を出来ず退出したと言われています。

なので、二条城では意思表明以外のことが行われませんでした。

ただ、

大政奉還そのものを二条城で行ったわけではないのですが、決意表明をしたところなので、昔は、「大政奉還は二条城でなされた」と書いてありました。

現在は訂正されています。

ぽむが日本史を習ったときは「大政奉還が、二条城でなされた」と書いてあってて、試験にも出ていました。

歴史の記述も時代と共に変わっていくんですね。^^;

大政奉還の場所を特定するのはは、ちょっと、難しい質問なので、テストに出たりもしないようになっているようです。(文部科学省としては、教科書にも大政奉還の場所は記述しない方針を出している。)

ただww

余談ですが。

今でも、たまに試験に出題する先生がいるらしいです。

「大政奉還の場所はどこか!?」

答えで○をもらえたのは「二条城」だったそうです、

京都で大政奉還。なぜ江戸じゃなかったの?

戻りますが、なぜ、大政奉還は江戸ではなく京都だったのか?

それは

大政奉還の意思表示に江戸に行っててる時間なんて無い!

と言う状況だったからです。

徳川慶喜は京都にいました。なので江戸に行くには時間がかかります。

(当時は当たり前ですが、電車も新幹線も無い^^;)

江戸に行ってるうちに倒されてしまう」と判断したのですね。

それほどせっぱつまっていたんです。

なので、今自分のいる場所(京都)で意思表明をした。

とにかく、意思表明を早く出せば、倒幕はない!

と徳川慶喜は読んだのですね。

実際、

大政奉還をしてもすぐに実権が移ることはありませんでした。

300年近く政治に携わっていない皇族に政治の実権を返しても、実際は無理ですよね。システムが判らないのですから。大政奉還をしたところで、すぐには何も変わらない。そんなことは誰でも判っていることなのですが、

とにかく今、統幕の動きで倒されてしまいそうな徳川慶喜は、

大政奉還することで

これでいける!と踏んだのですね。

とにかく、やってしまえばあとは何とかなる!

また、反対に。

しないと自分達は全員皆殺しにされてしまう。

そんな緊急事態だったから、江戸ではなく、京都で意思表明が行われました。

二条城ってどんなところ? 

そんな舞台になった二条城。

二条城ってどんなところなんでしょうか?

実際に内部を見てみたくないですか?

見たいかたはこちらをどうぞ^^

http://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/nijojo/syoheki/index.html#an1

二条城のHPなんですが、

その当時の様子を残していると言われている、二条城の映像が

なんと

パノラマで見れるんです

荘厳です。美しい場所です。

二条城は世界遺産になっています。美しい美術品も多数あります。

是非、ごらんください^^

ちなみに、

なんと、、

現在では、二条城で、結婚式も出来るようです。

十二単をまとって二条城で結婚式を挙げられる時代なんですね。。

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まとめ

いかがでしたか?

今回は大政奉還の場所はどこか?二条城なのか?などの疑問を調べてみました。

まとめると

  • 大政奉還の場所は御所
  • 二条城は大政奉還の意思表明をしたところ
  • 江戸でなく、京都で大政奉還の意思表明をしたのは事態が急を要していたから

です。

大政奉還から今年で150年。

史実の舞台でも結婚式が挙げられるほど、平和になったのですね。

そんな気持ちになりました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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