明治維新の人物達はどんな関係?維新の三傑を初心者目線で説明!

こんにちは、ぽむです。いきなりですが。日本史を勉強し始めました。

明治維新の人物たちってどんな関係だったのでしょうか?

ぽむは日本史を勉強し始めたばかりです。なので、全く判りません、初心者です。

日本史初心者目線で、明治維新の立役者と言われている「維新の三傑」をご紹介したいと思います

これで、明治維新が理解しやすくなる!?

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維新の三傑

維新の三傑とは

明治維新の改革を指導した人で

  • 大久保利通
  • 西郷隆盛
  • 木戸孝允

の三人のことです。

ちなみに明治維新とは倒幕運動が始まってから西南戦争が終わるあたりまでのことをさすそうです。

この三人は倒幕と明治新政府初期で活躍しました。

明治政府初期の三傑の役割

明治政府初期の三傑の役割はこんな感じ。

  • 大久保利通が経済
  • 西郷隆盛が軍事
  • 木戸孝允が政治

この3人が日本を動かしていたということですね。

大久保利通

幕末は西郷隆盛を補佐して薩摩藩を主導して維新後は事実上の国のリーダーになった人。

近代化をうたい富国強兵をスローガンにして徴兵制を推進したり、権力に執着して国民をないがしろにした冷たい人物と言われがち。

これだけだと、良くあるいやなやつのイメージですが、さすが維新の三傑

ちょっと調べただけでも、とてもすごい人でした。

幕末は西郷隆盛を補佐した大久保ですが、西南戦争では西郷隆盛を倒します。

ただ、西郷が自決した翌年、紀尾井坂で暗殺されたとき、利通は西郷から受け取った手紙と自身がしたためた返事を持っていました。

西郷が自決してからずっと、手紙を肌身離さず持っていたと言うことなのでしょうね。

また死んだときには私財は180円だったのに対して。国のために事業を肩代わりして作った借金は8000円(今で言う一億円以上)だったそうです。

すごいですよね。日本の近代化という目的を達成するために突っ走った人。

強い意志を持った人だったようです。

日本の近代化を何よりも強く望んだ西郷隆盛の初心を最後まで貫徹したひと。とも言われています。

大久保により、日本の資本主義が生まれたといわれています。

西郷隆盛

とにかく、みんなから人気がある波乱万丈の人生を送った方。

薩摩藩のリーダーで大久保利通とともに倒幕で活躍し、薩長同盟を締結。戊辰戦争では官軍の参謀として主導権をもっていました。

江戸城無血開城の立役者となったのも、勝海舟と西郷。

明治になると、鹿児島に戻るも、三条実美(さんじょうさねとみ)、大久保たち新政府の要請で、新政府の参議。日本初めての

近衛都督陸軍大将に就任。

つまり、軍事の頂点にたたれました。

軍を指揮する才能に長けていた方。とにかく人気があるのも、つまり、人望が厚かったからなのでしょうね。

誰からも好かれる人物だったようです。

ことろが、大久保が岩倉使節団となり、西郷が留守政府となってから、この関係は壊れていきます。

海外から戻った大久保と征韓論をめぐって対立が深まっていきます。

西洋を見てきた大久保はとにかく日本を底上げして、海外に通用する国にしようとします。

一方、倒幕は士族の犠牲で初めて出来たことなので、新しい日本でも士族を大切に思う西郷。

西洋を見てきた大久保と、日本から出たことの無い西郷は意見が食い違っていきます。

そんななか、士族はどんどんと特権を剥奪され、大久保の意見が通っていきます。それに反発する西郷たちは、一気に辞職(明治6年の政変)してしまいます。

薩摩に帰った西郷は私学校を開きます。

でも、士族たちの特権階級がどんどん奪われて行きます。不満がどんどんたまっていって、西郷の私学に不満をもてあます士族が集まっていきます。

そして西南戦争勃発。

西郷隆盛は当初戦争に積極的ではなかったのですが、いろいろな事情で、どんどん巻き込まれてその中心になっていきます。そして、9月に自決します。

西郷の自決によって日本の新しい時代が開かれたとも言われています。

ちなみに。ちょっと関係ないですが。

実は、太陽暦を取り入れたのも西郷隆盛だそうです。

木戸孝允

あくの強い、大久保、西郷の間に立ちまとめ役になったのが木戸孝允。

吉田松陰の松下村塾で学んだ。政治学にたけた方。

「意の大久保」と「情の西郷」、二人の考えをまとめて形にした人で、「知の木戸孝光」と呼ばれています。(渋沢栄一)

この人がいたから、二人のパワーバランスが取れて、明治維新が出来た。それで大久保、西郷、木戸で維新の三傑。と呼ばれているようです。

木戸が貢献した史実をあげると

  • 大政奉還、王政復古の大号令
  • 五箇条の御誓文
  • 版籍奉還
  • 廃藩置県
  • 地租改正(税金の基礎)

すごいですよね。。

木戸は西郷隆盛の征韓論まで、このまとめ役を続けましたが、

征韓論によって3人の関係は崩れていきます。

新しい方向に日本が動き、大久保が内務省を設立して事実上どんどん実権を握っていくなかで、木戸は政府の中心から外れて行きます。

そんな勢力争いで木戸は精神を病んでいったといわれています。

そして、西南戦争の最後を見る前に、三人の中で一番早く病気のため他界します。

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三傑の人間関係からみえてくる明治維新

渋沢栄一が言ったように「意の大久保」と「情の西郷」「知の木戸」だったようですね。

三傑は日本の明治維新を象徴していて。

討幕運動から始まった日本が発展していく大きな通過点が明治維新、

維新の始めでは士族が力を合わせて日本の土台を作り、大名たちの時代を終わらせ、国を近代化に向けて作っていった。

その時代が終わると

西洋の文化(政治、経済)が流れ込んできた。

そして、新しい流れが出来て、古い流れと対立した、それが

  • 西洋(ドイツなど)を見て、西洋に通用する日本を作っていこうとした流れ(大久保)
  • 朝鮮を侵略してアジアに進出していこう(西郷)と言う流れ

その後。戦争がおき最終的には、日本は西洋化の道を選択した。

そのおかげで資本主義ができ、日本の近代化がはじまった。

と言うことではないかな?と初心者目線で、捕らえてみました。^^;

まとめ

いかがでしたでしょうか?

素人の初心者目線で、明治維新で活躍した人達、維新の三傑の関係から、ちょっとだけ明治維新を見てみました。

まとめると

  • 三傑は大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允の三人
  • 大久保利通は新しい日本を西洋から学び、資本主義を作ろうとした人
  • 西郷隆盛は倒幕で活躍し、士族時代の最後を作った人
  • 木戸孝允は西郷から大久保に移行する時代をソフトランディングでいけるように国を動かして行った人
  • この三人の分裂していく様子が、そのときの日本をあらわしていた。

でしょうか。

今回は、日本史をとりあげてみました。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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