西郷隆盛と大久保利通、最後まで親友だったことを証する2通の手紙!

こんにちは、ぽむです。

対立していたと言われる西郷隆盛と大久保利通なのですが、

この二人は最後まで、深くつながった親友だったって、ご存知ですか?

その証が大久保が、殺害される直前に読んだとされる西郷からの2通の手紙です。

手紙の内容、二人の関係について判りやすくご紹介しますね!

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2通の手紙

大久保利通は、紀尾井坂で暴徒に襲われ、その最後を迎えました。

暴徒に襲われたとき、大久保は手紙を読んでいました。

手紙は、親友、西郷隆盛からのものです。

4~5日前から肌身離さず持っていたと言われています。

その手紙とは、(暗殺された日に書かれた東京日日新聞の記事によると)

1通目は真面目な内容で

「外国人が王政復古の大号令を曲解して本国に伝えないよう説明をして欲しい」

というもの。

大久保と西郷が共に同じ目的に向かって奔走していたときのものです。

2通目は

「もう、写真を撮るのはやめなさい」という

大久保への親愛がこもった手紙です。

この手紙の解釈については意見が分かれるところですが、

ちょっと見ていただけますか?

こちらが海外に行く前の大久保です

志に満ちたアジアの侍って感じでしょうか。。

ところが

帰って来ると、こうなっていきます。

(尚古集成館蔵)

いかがですか?ww

西郷の「写真を撮らないほうがいい」というのはこのことを指していて、

「ずいぶんと変わったもんだ」って茶化している意味だと思います。

渡航前は土臭い武士だった大久保は、帰国したときには

ひげをはやして、洋服を着、腕を組み背筋を伸ばしていました。

写真も以前のようにやぼったくは撮りません。

海外に行ってきたことを誇示するかのように、洗練された風貌で写真を撮っています。

大久保は意識してそうしてもいました。

しっかりと西洋の文化を取り入れてきたことをアピールしていたのです。

これを、西郷は親愛をこめて、手紙でからかっていたのです。

「新しい日本のために、よく、がんばってくれた」

と言う意味がたっぷりと含まれていた手紙だったのです。

誰が見ても一目でわかる大久保の変容が、どれだけ大変なことだったか、西郷なりに、理解していたのだと思います。

そんな二つの手紙を暗殺される直前まで大久保は読んでいたのです。

そして、暴漢に右手を刺されると暴漢を制し、まず、西郷の手紙を閉まいました。

大切な、大切な手紙だったことが伺えます。

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西郷と大久保

征韓論をめぐって、西郷と大久保が対立したのはご承知の通りです。

ただ、対立したからといって、友情が壊れたと言うのは早急だと思います。

実際、隆盛の死後西郷の名誉回復のために隆盛の伝記を作ろうとします。

重野安繹と言う人が依頼をうけました。

「西郷を一番知るのは自分である。だが、自分には文才が無い」

そういって依頼したといわれています。

重野は大変文才のある人です、大久保は西郷のために、最高の伝記を作ろうとしていたのです。

日本のために命を全うした西郷が、賊軍のように歴史に残ることを、なんとしてもとめようとしていたのです。

二人の関係はちょっとわかりにくいですが、判りやすくご紹介させていただきますね。

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幼馴染だった二人

西郷と大久保は幼馴染です。

同じ町内で育ちました。

二人はほぼ毎日一緒にすごしたと言われています。

西郷は大久保より2つ年上。

兄、弟のように培われた関係は、成長する過程のなかで、お互いの人格を認めこそするものの、仲たがいをするようにはならなかったと思われます。

小さい頃からお互いの家に入り浸り、どこに行くにも一緒、数々のことを語り合い、一緒に成長し、同じ志を持ち突き進んできた二人です。

最後まで二人は親友でした。

では。

二人が仲たがいをしたといまだに言われているのは何故でしょうか?

何故仲たがいをしたと言われ続けているのか

考えられるのが、二人の育った環境です。

「言わずとも察せよ」

と言う、風土でそだちました。

確かに

西郷を見ても、大久保を見ても、自分のことを一から十まで語りつくすタイプと言う感じはしません。

肝心なことを胸に秘めてひたすら行動に移す。

そのために自分がどう思われるか,そんなことは大儀の前では問題ではない。

そんなタイプに見えます。

ましてや二人は一緒に育った仲。相手を思わぬはずはありません。

ただ、育った風土が仇となって、

相手を思うあまり、またお互いの地位のために、話し合う機会も、その深さも、足りなかったのでは無いかといわれています。

もう少し早かったら、もう少しお互い異見を忌憚無く好感する機会が持てたら、結果がどうであれ、仲たがいをしたまま西郷は自害させられた、という風には取られなかったかもしれません。

実際に西郷、大久保の出身地では西南戦争から西郷の自決の流れは違った捕らえられ方をされていたりもします。

大久保も西郷も日本のために尽くしただけ。

薩摩の男の生き様が、反映されているようにも思えますね。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回はお互いの志のため、対立したと言われている西郷隆盛と大久保利通の関係をあらわす2通の手紙についてご紹介しました

まとめると

  • 西郷隆盛と大久保利通は最後まで親友であった
  • 大久保利通は死ぬ直前西郷からの手紙を読んでいた。
  • 西郷は渡航した大久保を認めていた。
  • 二人は幼馴染で兄弟のように育った。
  • お互いに自分の思いを話すことには長けておらず、そのためいまだに誤解をされている。

です。

時代の流れで生きるというのは本当に凄いことなのだなと思いました。

ここまでよんでいただき、ありがとうございました。

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