金栗四三!足袋を履いたマラソンの父!人柄、功績を判りやすくご紹介!

こんにちは、ぽむです。

金栗四三。来年のNHKドラマいだてんの主人公ですよね。

このかた、日本が初参加したストックホルムオリンピックに出場に、出場して「消えた日本人」として話題になるなど、いろいろと面白い偉業をのこされました。

生涯をマラソンに捧げマラソン足袋を開発し、

走った距離はなんと地球6周以上なんです!

人柄、功績を誰にでもわかりやすくご紹介いたしますね!

スポンサーリンク

金栗四三ってどんなひと?

ルックスと性格

では、ルックスと性格からご紹介しますね。

気になる見かけはこんな感じ。

晩年の金栗三四です。

明るくて元気な感じがしますよね。

「わっはっは」って言葉が似あいそう。。。

人柄なんでしょうね。金栗さんの晩年の写真は、笑顔のものしか残っていないんです。

こんな感じ

座右の銘は

「体力、気力、努力」

ちなみに、お墓の前にもこの文字が。。。

なんか、いいですよね。

愛とユーモアにあふれた人で、皆に好かれた方でした。

昔も今も変わらず愛されていて、なんとこのお墓めがけて走る

「金栗四三翁 墓参マラソン」

なんてマラソンまであるのです^^;マラソンの父ゆえに、お墓参りもマラソンになっちゃうんですね。

もちろん、最後はお墓の前でみんなそろって記念撮影。

うーん。。すごいですよね。

92歳まで生きられました。

選手としてもオリンピックに3回出場し、指導者としても大変優れた方でした。

「金栗の指導は、選手だけでなく、指導者も楽しみながらやるものだった」

選手にそういわれて慕われ続けた生涯でした。

スポンサーリンク

永遠のオリンピック記録保持者

そんな金栗の功績ってどんなだったのか調べてみました。

調べてみるといろいろとすごかった!

その一つ目がオリンピック記録です。

日本が始めて参加したストックホルムオリンピックに金栗はマラソン選手として出場します。

当時日本からストックホルムに行くまでは20日と言う長旅、また、会場までの迎えが来ず、金栗は会場まで走って行くことになったといいます。

ちなみにストックホルムは、「魔女の宅急便」でご存知の方も多いかと思います。

こんなところです。

話を戻します。

その日、ストックホルムの最高気温はなんと40度(!)このマラソンは参加選手68人のうち34人がリタイア、ゴールしても翌日死亡してしまった選手もいた、過酷過ぎるレースでした。

このレースで日射病になった金栗はコースをはずれそのまま倒れてしまいます。その金栗を近くの農家の人が助けて介抱したのですが、金栗が目を覚ましたのは翌日のこと。そのまま金栗は宿舎に帰ります。

そのため、金栗のレース棄権の届出は本部には届かず、失踪扱いに。。。

「消えた日本人」として後世に伝えられることになります。

その後50年。この事件に興味を持ったあるスウェーデンの記者が金栗を探し出し来日、インタビューをしてその記事を新聞に載せます。そして消えた日本人のニュースはテレビにも大きく紹介されて話題になっていきます。

オリンピック委員会が動くのはそれから4年後のこと。

1967年オリンピック委員会に招かれ、金栗はストックホルムの五輪記念陸上競技場でゴールのテープを切ることが出来たのです。

写真はそのときの金栗。

嬉しそうですよね。。

感無量だったのですね。

記録は54年と8月6日5時間32分20秒3

この姿はスウェーデンの公共テレビで放送されました。

世界でもっとも遅いマラソン記録として永遠に残る記録です。

スポンサーリンク

金栗足袋を開発

これが金栗足袋です。

金栗が東京の足袋屋ハリマヤ黒坂親子に頼んで開発したもので

日本のランニングシューズの原点と言われています。

ストックホルムオリンピックで外国人のシューズを見た金栗が足袋の底をゴム底にしたのです。また、シューズのようにこうの部分を紐で結ぶなど改良がされています。

大正8年に完成されました。

金栗足袋は「マラソン足袋」とよばれ日本のマラソン選手に愛され続けます。

昭和11年、日本代表の孫選手がマラソンで日本初の金メダルを勝ち取ったときに履いていたのも、なんと、この「金栗足袋」!

世界にその名をとどろかせた、すごい足袋なんです。

今みてもちょっとかっこよいですよね。

スポンサーリンク

走った距離は25万キロ!

25万キロ。

金栗が生涯に走った距離です。

地球6週と4分の1

地球!!!

一体どんな走り方をしたの?と思う距離ですよね。

そんな金栗の凄さの一例をご紹介すると。

  • 下関~東京間
  • 樺太~東京間
  • 九州一周

踏破し全国走破をします。

全国走破。。

今でも、これは充分にNHKの連続ドキュメンタリー番組になる勢いです。

走って走って走りぬいたんですね。

目的は、マラソンの普及です。

箱根駅伝にも尽力しました。

日本人の年明けのメインイベントとも言える箱根駅伝にも金栗の姿があったのです。

高地トレーニングを日本に導入したのも金栗です。

サーキットトレーニングを始めたのも金栗。

マラソンの歴史を調べるとき、必ず彼の名前がある。

今でもそういわれています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は日本のマラソンの父と呼ばれる金栗四三の人柄、功績をご紹介しました。

まとめると

  • 明るくユーモアがあり、選手としても指導者としても誰からも愛された性格
  • オリンピックで伝説となる54年越えの記録保持者
  • 日本のランニングシューズの原点と呼ばれる金栗足袋を開発
  • 生涯をマラソンに捧げ、走った距離は地球6周以上。

調べるほどに魅力的な方でした。

またご紹介できたらな。と思っております。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする