西郷隆盛の最後はどんなだった?最後の言葉はなに?

こんにちは、ぽむです。

西郷隆盛の最後ってどんな感じだったんでしょう?

最後に誰に当てて何て言ったのか、気になりませんか?

調べてみました。ご紹介します!

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どんな最後だった?

西南戦争終期、転戦を続けて西郷隆盛が最後に行き着いたのは鹿児島城山。

最後の5日間は城山の洞窟に立て籠もります。

一緒にいたのは桐野千秋、別府晋平、村田新八、池上四朗たち。

幹部達と一緒でした。

ちなみにこの洞窟は入り口がこんな感じで、5人入れるかどうか?と言う広さ

2つあわせても10人は入れなかったのかもしれませんね。

そこに座るようにして夜をすごしながら5日間立て籠もったのです。

敗戦となることは、もう、誰もが判っていた。そんな中でした。

立て籠もり3日目の9月22日、西郷隆盛は決死の意を各隊に伝えます。

ここで、皆戦って死ぬと言うことですね。

希望者は政府軍に降伏しても良いと伝えられたと言われています。

4日目の23日、新政府軍から西郷軍に降伏を促す伝言が伝えられますが、西郷隆盛はこれを無視します。またそのとき同時に西郷の自決を勧める書簡も届けられていました。

この夜、西郷たちの最後の宴が催されました。

その宴には10発ほどの砲火を花火のように夜空に打ち上げ、舞が舞われ、笑い声も上がり、お水を飲んでいながら、まるで祝宴のようだったと言われています。

5日目9月24日まだ暗い午前3時50分

新政府軍が城山に向けて一斉に集中砲火を浴びせ始めます。

放火の中洞窟の前に40人ほどの幹部が整列します、西郷が最後の戦いに向けて皆を鼓舞したといわれています。

そんな中。1時間ほどで城山の山頂は新政府軍に制圧されます。

西郷達がいる洞窟は頂上より下にあります。西郷軍は上からも下からも攻撃される形になったのです。

洞窟前に政府軍が来るのは、もう時間の問題となったとき、西郷たちは潔く前へ進んで死ぬことを決意します。そして洞窟を捨て、岩崎谷口の坂道を通り下山を始めます。

写真は明るいですが実際は真っ暗でした。

その、暗闇の中、光るものははお互いの砲火の光のみの中だったと思われます。

洞窟を出て300mで西郷は2発の銃弾を受けます。腰と大腿部で、貫通でした。

ここで自決を決め西郷は別府晋介の介錯により、終焉を迎えることになります。

洞窟から歩いて15分程度の場所でした。

ちなみに、

9月の鹿児島は大体6時近くに日が昇ります。なので、戦闘が始まってから西郷が最後を迎えるまで、すべては夜が明ける前、暗闇の中で終わったと思われます。

何か象徴的な感じがします。

最後の言葉とその意味は

「晋どん、もうここいらでよか」

これが、西郷の最後の言葉です。

辞世の句等は、残されませんでした。

銃弾は西郷の身体を貫通したと言われているので、出血もかなりあったためかもしれません。

この、最後の言葉の意味は何なのでしょうか?

西郷は西南戦争に乗り気でなかったことは公に知られるところです。

内乱に意味がないことを誰よりも知っていたと言われています。そんな西郷だから、江戸城の無血開城の立役者になれたのです。

その西郷がなぜ西南戦争の中心になってしまったのか?

これは、西郷が若いとき、投身自殺を図ったときに詠んだ辞世の句です。

「ふたつなき 道にこの身を 捨て小舟 波立たばとて 風吹かばとて」

訳すと、こんな感じです。

「二つとない大切な我が命であるが、命を捨てて乗る小舟である、波がたつとも、風が吹こうとも、わが命をこの小舟に乗せ、進まねばならない」

日本史上、もっとも好かれた偉人と言われている西郷隆盛。

座右の銘は「敬天愛人」

天を敬って人を愛すると言う意味です。

自分を慕ってきた者達(新政府に不満を持つ士族達)に「わしの体は、おまえたちに差し上げもんそ」と言って最後まで共にいることを決意し、それに従ったのでしょう。新しい日本のために、この戦いは必要なことも、知っていたのかもしれません。

本当に稀有な人物だったと言われているゆえんですね。

そんな西郷を明治天皇は心から慕っていたと言われています。

それを示しているのが、西南戦争の翌年の追悼歌会、

明治天皇は異例である敵の西郷隆盛の追悼歌会を開いたのです。

そこでは「西郷の罪過を誹らないで詠ぜよ」と促し、明治維新の功労を大切にせよ。と言いました。

西郷の功労をたたえる歌会だったのです。

そして、

明治22年2月11日、大日本帝国憲法発布の大典で西郷隆盛に正三位を与えました。

誰もが、なぜ西郷が戦ったのか、わかっていたのですね。

この、「もう、ここいらで良か」と言う言葉は、その時代に巻き込まれ戦いに関わって行かざるを得なかった全ての人に向けられたと言っても良いように思えます。

ちなみに余談ですが、上野公園の西郷隆盛の銅像は政府が立てたものではありません。

江戸に住む人々が西郷隆盛を慕い、自分達でお金を集め建てたものです。

江戸上の無血開城をどれだけ江戸の人達は感謝し、西郷に感謝したか判りますね。

血を流すことは、何よりも意味がない。

それを信じてひたすら奔走した西郷を誰もが認めていたのですね。

知れば知るほど、「もう、ここで良か」と言う言葉が深く響いてきます。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は西郷隆盛の最後とそのときの言葉、その意味についてご紹介させていただきました。

まとめると

  • 降伏を拒み、最後は戦って死ぬことを選んだ。岩崎谷口で負傷し自決
  • 「晋どん、もうここいらでよか」が最後の言葉

実はぽむは西郷隆盛についてほとんど知らなかったのですが、

調べていくうちに、本当に偉人だったのだな。と感動しました。

他にもいろいろと調べてみたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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